宮城から連れてきたパンが眠いよーって言ってる。
実家のある宮城にさっと行ってさっと帰ってきた。
麦家のパン。
こういうの大好き。特に朝に食べるの大好き。
宮城にいると宮城の良さを感じ、
七尾に戻ると七尾の良さを感じる。
能登の人が地元に根を張って生きているのが羨ましく思い、
能登であちこち魅力的な人や空間に出会うとこの道でよいと思える。
あれをすればいいんだ、これがしたい、とぽんぽんでてくる能登は熱い。
先週、今週と東北は豪雪。
宮城の実家は普段、降っても30-40cmほど。
だけど今年はすごいらしい。
東北の知人のタイムリーな情報を目にすると心配。
交通の混乱は関東でも続き、身動きがとれず1-2日車で過ごす人も。
そんな中目にした記事は「山崎パンが物資提供」の見出しだった。
そういえば、3.11の時も避難所のあちらこちらで山崎パンのケースをみた。
会社に勤めるため福島県郡山市にぽつんと降り立って1年目の時に地震がきた。
1-2日たって近くの避難所を通りかかったらパンがぎっしり詰まったケースがあってなんとホッとしたことか。
結局家にあるもので足りたので足を運ばすにはすんだけど
食料がなくなったらここにこればいいんだ、と安心できた。
山崎パンってすごい。
山パントラックをみるたびに思い出す出来事。
正直買う機会は少ないけれど、今回の災害のときの行動をみて
改めて感謝して、パンを通してありがとうをしようと思った。
まもなく3年目。
3.11の時には沢山助けてもらった。
当日は職場の方が一緒にアパートいってくれたり
震災の次の日にはガス屋さんがきてチェックしてくれたり。
給水所で10リットルの水を頂いて運ぼうとしたら自転車のチェーンがはずれてた。
オロオロしてたらおじさん二人がトンカチをカチンとならしてなおしてくれた。めちゃめちゃ感動した..
自分が安心したくて宮城の実家に戻ったら
親戚が避難していて私を混ぜたら12人。それでもお帰り〜!と向かいいれてくれたり。
帰りは7時間並んで入ったガソリンでバスのでる福島市まで送ってくれたり。
勤めていた会社ではお休みの一週間の分もお給料でたり。
テレビをみて震災や原発で落ち込んで何にもできなかった数日から立ち上がらせて
頂いた方々に感謝の日々でした。
もうすぐ3年目。
私には変化が多すぎて長い長い3年。
犠牲になった皆様のご冥福を心からお祈り申します。
また、現在も避難されている皆様が切り開く道の先が笑顔でありますように。
七尾に来たときから時々購入していたネテのパン。
特にマフィンが独特な絶品さで個性抜群。
甘さがしつこくなくけどしっかり奥深い甘さ。
暖めたら蒸しパンのような柔らかさで絶品..
そんなネテ製穀が週一でお店を始めた。
噂を聞きつけてはいたものの、働かなければ心配で
あちこち行っていた一月はあっと言う間にすぎた。
二月、なんだか家での仕事が多い。
金曜もお家。
ネテ製穀へいこう!と思い立って車で迷うこと5分。
無事到着して薬草茶とマフィンをいただきます。
外は雨、雪、風の嵐。
中はいい香り、暖かさ、進む話。
マフィンを味わいつつ、薪ストーブにあたりつつ、
同年代の店主さんとお話ししつつ。
彼女は本業は農家で、週に一度パンを焼いて、
彼女の暮らしを築いていっている。
じっくり時間をかけて。
ものすごく味わい深いこのマフィンは彼女にしか作れないのではないかって。
今の私からはもう少しpc時間を取り払うよう。
本日、ひょんなことから輪島へ行くことに。
そういえば輪島で訪れてみたい場所があったのでした。
仁行和紙という工房。
その日は久々に雪が降り、あたりは真っ白。
びくびくしながらもginaに乗って仁行という集落へ。
2回程電話をして道を伺いながら辿り着いたのは山の中。
ドアを引くと遠見さんとゆったり歩くわんこが迎えてくれました。
ご自由にご覧下さい、と遠見さん。
工房内は静かで、遠見さんの声もそれに馴染み、
私の浮きだった声だけが異物です。
静かだけど物足りたりないわけではなく、時にぴとんぴとんと水の音。
その日はお一人で作業をされていて、
紙を漉いている途中でした。
漉いた後は薪を炊いた熱で乾かすようです。
ふかふかの絨毯のよう。
この素材では紙はつくれますか?
などと伺っていたら何種類か紙をみせて頂きました。
素材を書くのがなんだかもったいないので是非と遠見さんから伺ってくださいね。
素材と出来上がっている紙に美しさを覚えていくつかお土産にしました。
一つは早速部屋に広げました。
作業に対して真摯に向き合うきっかけとなります。